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家 建てたり なんかしたり・・・ 2007年02月17日

家 建てたり なんかしたり・・・

家づくりに奮闘する肉体派の30代  日々の思いをなんとなく書いてみたりして・・・

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都市のオープンスペース3
都市のオープンスペースシリーズ
今回は日本におけるオープンスペースの成り立ちについてオナハシします。

日本の首都、東京というか江戸を題材にしてみましょう。

江戸時代、江戸の人口は100万人以上にものぼり、世界最大の都市でした。そしてそのうちの半分が町人でしたが、町人の住む町地の割合は約2割で、かなり町人たちは窮屈な生活を強いられていました。
それでは、江戸時代の庶民にとって、現在の都市公園のような憩いの場はあったのか、オープンスペースはあったのか・・・・

前回、ヨーロッパにおいて、産業革命による過度の人口集中によるオープンスペースの欠如に対して、上層階級が自らの狩猟場を公園として開放することによって、都市のオープンスペースが確保されたという話をしました。
当時の江戸も同じような状況にあったのですが、ある事情により江戸には既にオープンスペースが確保されていたのです。

まずは寺社の境内。
多くの文献や絵画資料に描かれているように、寺社の境内は民衆のもっともポピュラーは遊観所だったのです。町人地は台地の下の狭い部分に密集していましたが、寺社は台地の端の最も景観の良いところにあり、また、敷地も広く緑にあふれていました。寺社の境内地はもちろん寺社の所有であったが、広く民衆に解放され、大名庭園のようなものと持つことはできない長屋住いの下層町人もいつでもそこにいって豊かな緑と眺望を楽しむことが出来たのです。

尚、明治時代になり「公園」というものがようやくできるわけですが、その多くはこの寺社の境内でした。
浅草寺→浅草公園、増上寺→芝公園、寛永寺→上野公園、富岡八幡宮→深川公園ってな感じです。

おっと、このままでは都市のオープンスペースと建築構造は関連してませんね。
それと、橋詰も出てきてない。

ちょっと長くなりましたので、その辺は次回にしたいと思います。

次回を読みたいと思った方も、思ってない方も
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街を考える / 2007.02.17 21:12 / TB[0] / CM[6]



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