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家 建てたり なんかしたり・・・ 街を考える

家 建てたり なんかしたり・・・

家づくりに奮闘する肉体派の30代  日々の思いをなんとなく書いてみたりして・・・

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都市のオープンスペース4
都市とオープンスペースの第4話、昨日、一昨日とプチ冬眠で中断してしまったため、忘れられていそうですですが、最終話として締めくくらせていただいます。

先回は寺社の境内が庶民の重要なオープンスペースになっていたという話でした、今回は建築構造と都市のオープンスペースの関係についてのお話です。

近世の日本の建築物の主流はもちろん、「木造建築」です。
木造であるが故に起こる都市問題として「火事」があります。
特に人口の密集していた江戸にとっては大きな問題で、明暦の大火では江戸の半分が消失したと言われています。

しかし、現在のように消防車やポンプ車のような消火設備のなかった当時、火事が起きたときには延焼を防ぐために火事の起こった周囲の建物を壊すといったくらいしか方法はありませんでした。
そこで、江戸などの近世の日本の都市には「火除地」というものが生まれます。平たくいうと単なる「空き地」です。広小路と呼ばれる大通りや、門の広場、橋詰(橋の出入口にある広場、木橋を延焼から守るため特に重要であった。大名行列の待機の場としても使われる)も含まれます。つまり空き地、オープンスペースを設けることにより、火事の広がりを防いだわけです。

火除地は将軍や武家の鷹場、馬場(放鷹、乗馬を行う場所)として使われた他(○○馬場という地名は今でも残っている)、基本的に幕府や町方の所有であったが、広く庶民に解放された。水茶屋、芝居小屋なども設けられ、庶民の格好の遊びの場、広場として使われていたのである。

八代将軍吉宗の放鷹の場として利用されていた護寺院ヶ原については、以下のような発布がなされている

「神田橋外一ツ橋外、明地之近辺屋敷屋鋪ノ妻子、延気二罷出候儀、二月中旬ヨリ八月中旬迄ハ勝手次第、出ヅ可キ候。此外町人等モ妻子召連、延気二参候ハ苦シカラズ候。

放鷹の行われない2月から8月までは、武家の妻子が遊ぶのを許し、又町人が遊んでもよいとしている。

木造家屋が多く、火事の起こりやすい江戸の都市構造は、結果として火除地というオープンスペースを生み出すことになり、庶民は古くからある寺社の境内に加え、新たな屋外生活の場を得ることとなったのです。


日本にも、近代が訪れ、そして産業革命が起こることとなります。
都市は益々人口集中がおこり、そして西洋から入ってきた組石造や後のコンクリート造により、都市の環境も激変します。
火事に悩まされ続けていた日本人にとって、西洋から伝わった非木造建築は夢の建築でありました。
しかし、火事に強い建築物を導入していくにつれ、火除地のようなオープンスペースはなくなっていきます。
そして、オープンスペースの少ない、現在の窮屈で煩雑な町となっていくのです。
もし、当時の日本人が西洋の耐火建築物のみでなく、ヨーロッパが一度失い、そして公園という名で新たに獲得したオープンスペースの重要性を学んでいたとしたら、少しは日本の町も変わっていたかもしれません。

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街を考える / 2007.02.21 02:51 / TB[0] / CM[8]


都市のオープンスペース3
都市のオープンスペースシリーズ
今回は日本におけるオープンスペースの成り立ちについてオナハシします。

日本の首都、東京というか江戸を題材にしてみましょう。

江戸時代、江戸の人口は100万人以上にものぼり、世界最大の都市でした。そしてそのうちの半分が町人でしたが、町人の住む町地の割合は約2割で、かなり町人たちは窮屈な生活を強いられていました。
それでは、江戸時代の庶民にとって、現在の都市公園のような憩いの場はあったのか、オープンスペースはあったのか・・・・

前回、ヨーロッパにおいて、産業革命による過度の人口集中によるオープンスペースの欠如に対して、上層階級が自らの狩猟場を公園として開放することによって、都市のオープンスペースが確保されたという話をしました。
当時の江戸も同じような状況にあったのですが、ある事情により江戸には既にオープンスペースが確保されていたのです。

まずは寺社の境内。
多くの文献や絵画資料に描かれているように、寺社の境内は民衆のもっともポピュラーは遊観所だったのです。町人地は台地の下の狭い部分に密集していましたが、寺社は台地の端の最も景観の良いところにあり、また、敷地も広く緑にあふれていました。寺社の境内地はもちろん寺社の所有であったが、広く民衆に解放され、大名庭園のようなものと持つことはできない長屋住いの下層町人もいつでもそこにいって豊かな緑と眺望を楽しむことが出来たのです。

尚、明治時代になり「公園」というものがようやくできるわけですが、その多くはこの寺社の境内でした。
浅草寺→浅草公園、増上寺→芝公園、寛永寺→上野公園、富岡八幡宮→深川公園ってな感じです。

おっと、このままでは都市のオープンスペースと建築構造は関連してませんね。
それと、橋詰も出てきてない。

ちょっと長くなりましたので、その辺は次回にしたいと思います。

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街を考える / 2007.02.17 21:12 / TB[0] / CM[6]


都市のオープンスペース2
今回は先日の記事に引き続き都市のオープンスペースについて書いてみようと思います。

まず、西洋のオープンスペース成り立ちについて
ヨーロッパの古い都市は侵入者から町を守るため、町全体が城壁で囲われ(この部分は現在では旧市街と呼ばれる)、さらに城壁の中も細く入り組んだ道となってる。
その中で、多くの都市には中心部の市庁舎や教会の前に権威の象徴、祭礼の場、マーケットの用地等のとして、「広場」が設けられ、それが窮屈な都市環境の中で重要なオープンスペースとなっていた。
その広場にはオベリスクや噴水なども設けられ、まさにその都市の象徴となっていたのである。

そして、ヨーロッパにおいて産業革命が起こると、大量の労働者が都市に流れ込み、中層の建造物がひしめき合う窮屈で劣悪な都市環境ができあがっていった。
さらにそこでは下層労働者により、熊いじめ(けしからん!)など「ブラッドスポーツ」と呼ばれるものが遊びとして行われ、非常に陰鬱な都市生活環境となっていた。
それを見かねた中流階級の人々の要望などにより、王室等が所有した「狩猟場」を健全な遊びを行う都市のオープンスペースとして人々に解放され、それが現在でいう「公園」のはじまりであった。
ロンドンにおける「ハイドパーク」やパリの「ブローニュの森」がそれにあたる。

つまり、ヨーロッパの都市では、古くから都市の象徴として存在した市庁舎や教会の前の広場に加え、産業革命時に形成された石造を中心とした中層建築物のひしめき合う、窮屈で陰鬱な都市環境を改善するために支配者層が自らの用地を広く市民に開放した「パーク」の存在により、オープンスペースが確保されたのです。

ヨーロッパにおける豊かな都市のオープンスペース(広場)は
産業革命における都市の肥大化と
石を材料とした中層建築物においてもたらされた
劣悪な都市環境を改善されるためにできていったと言えます。

その他、ドイツのクラインガルデン(市民公園)、プロムナード(遊歩道)、ニューヨークのセントラルパークなど、いろいろ発展していく話もありますが、ここらでとどめ次は日本の橋詰を含むオープンスペースについて書きたいと思います。

「なんだつまらんね、ぶっちゃけほとんど読んでねえ」
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街を考える / 2007.02.15 09:47 / TB[0] / CM[8]


都市のオープンスペース
先日、tatsuroさんから、橋詰の話、西洋の広場との違いについて書いてあったらとコメントをいただきました。

多分、そこらへんはtatsuroさんの方が詳しいのかと思いますが、私の知る範囲で書いてみます。

しかし、今日はちょっとばかし飲んで頭痛がしますので、詳しくは明日書くことします。

さわりだけ言えば、日本と西欧の都市における、橋詰や広場などのオープンスペース違いは、建築構造が大きく影響していたということです。

ということで、今日はポチっとだけしていただいて、また明日・・・

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街を考える / 2007.02.14 00:42 / TB[0] / CM[5]


井戸端会議
昨日はへたれクマが久々の長期肉体労働による疲労により冬眠してしまいました。
コメントをいただいた方ご返事遅れ申し訳ございませんでした。

最近、hawpaでは男性、女性の井戸端会議が発生しております。
中でどんな話がされているのか、各々気になるようです。

では「井戸端会議」とはなんでしょうか。
中世の日本の都市では、表通りに町屋が連なり、その裏はまったくの空き地となっていて、そこに共同の便所や井戸がつくられました。
また、道路に自動車が走ることもないので、表の通りも格好のコミュニケーションの場として活用されました。
つまり、昔の都市生活者は表通りで同じ町内の人通しのコミュニケーションをとり、裏の便所や井戸の共同利用を通して裏町の人々とのコミュニケーションをとっていたわけです。

共同井戸で水を組むには待ち時間が発生するため、井戸はおかみさんの格好のコミュニケーションの場となり、そこから「井戸端会議」という言葉が生まれました。

次第に表の町屋、長屋には井戸や便所が各戸につくられるようになりますが、近世につくられるようになった裏長屋にはそれらはなく、共同の便所や井戸が使われ続けたのです。

現代では生活に必要な設備が各家に備わるのが当り前で、さらに日用品も近所の商店ではなく、各々の好きなスーパーで買われるため、生活をする上での、中近世のような近所付き合いが無くなってきているのは、ごく自然なことではあります。
しかし、最近では高齢者向けの集合住宅やコーポラティブハウスなどで食堂などを共同にすることより、コミュニケーションを図ろうという試みがなされています。
これは、近隣とのコミュニケーションの大切さが見直されはじめている結果だともいえるのではないでしょうか。

・・・
なんだこりゃ
最後はNHKみたいになってしまった・・・

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街を考える / 2007.02.11 14:05 / TB[0] / CM[4]



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